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論考記事生化学の誤用とニュートリショニズム
要旨
現代の栄養情報は、食品を構成成分の総和として読ませる「ニュートリショニズム(栄養素還元主義)」の影響を強く受けています。筆者はこの状況を、科学の否定ではなく、むしろ「生化学の成功体験が市場で省略され、過剰に言い切られる」ことで生じた誤配線として捉えます。生化学という語が生命科学一般の便利語へ拡張される誤用は、用語の問題にとどまらず、推論の強度を不当に押し上げ、現場の意思決定を歪め得ます。その誤配線が栄養言説で特に露骨に観察できるため、本稿ではニュートリショニズムに限定して論じます。結論として、成分の足し算によって食品の効果を一般に言い切ることは、現段階では「完全理解」と呼べる水準に達しておらず、ホールフードと食品マトリックス(構造)という視座が、成分知を現場へ戻すための実務的な足場になり得ることを示します。
本稿の射程
本稿が想定する読者は、健康なクライアントを対象とするパーソナルトレーナー、および自身の身体運用に関心を持つトレーニーです。
本稿は特定の疾患に対する医療的ガイドラインではありません。診断や治療を目的とせず、現場における意思決定の設計思想を扱います。特に本稿では、栄養言説における「ニュートリショニズム」に焦点を当て、成分の足し算で食品を語ることの限界と、現場での情報の解釈指針を論じます。医師や管理栄養士から指示された栄養補助や薬剤の中断を推奨するものではありません。
また、本稿は生化学という学問領域そのものの妥当性を問うものではありません。生化学的手法(還元と再構成)が実験室で持つ強力な説明能力を前提とした上で、その手法を無媒介に食品摂取へ適用する「市場における推論の飛躍」のみを批判的検討の対象とします。
はじめに
筆者はこの数年、「生化学」という言葉が、意味の輪郭を失ったまま流通していく状況に強い怒りを覚えています。ここでいう怒りは、学術的な作法の問題にとどまりません。言葉の誤用は理解の誤配線を引き起こし、その誤配線は現場の意思決定を壊します。現場で壊れるのは、抽象的な「科学」ではなく、目の前のクライアントの生活と行動の設計です。
筆者は生化学を駆使して博士号を取得し、半生を生化学的手法による解析に注いできました。現在はパーソナルトレーナーとして現場に立っていますが、この業界に移ってから、生化学の誤用があまりにも多いことに直面しました。分子機構の説明や「生化学的に~」という語りが提示されると、それだけで議論が免罪され、結論が過剰に言い切られることがあります。筆者は、その「言い切り」の速度と強度に、しばしば危うさを感じてきました。
ただし、この怒りの対象は本来もっと広く、用語の誤用、学会名と実態の混線、生命科学一般の便利語化といった問題系に連なります。にもかかわらず、すべてを一度に論じると、論考は散漫になり論点が鈍ります。そこで本稿では、怒りの表現先をいったん絞り、栄養言説におけるニュートリショニズム(栄養素還元主義)を、一つの症例として取り上げます。ニュートリショニズムは、生化学の成功体験が市場で圧縮され、省略され、誤った「言い切り」として結晶する地点が最も露骨に観察できるからです。
本稿の狙いは、ニュートリショニズムの是非を裁くことではありません。生化学という語が誤用されるとき、推論がどこで滑り、どのように結論が過剰に立ち上がるのかを、症例として可視化することです。筆者は、怒りを論考へ変換するために、あえてこの舞台を選びます。
第1章 生化学の成功体験と「言い切り」の誘惑
本稿でいう「生化学」は、生命科学一般の便利語ではありません。分子の反応・相互作用・物質変換を、分離・精製・再構成・定量によって機構として詰める。筆者はこの教科書的中核としての作法を、生化学と呼びます(注1)。
分離と再構成による証明の作法
生命とは何かという問いに対し、20世紀の生命科学が手に入れた最も強力な作法の一つは、現象を分離し、精製し、再構成して「作って見せる」ことでした。生化学は、複雑な現象を切り分け、必要な要素を揃え、試験管内で反応を再構成することで、機構理解を積み上げてきました。精製された物質だけで現象を再構成できたとき、理解は「もっともらしい説明」から「手続きとして再現可能な理解」へと昇格します。DNAポリメラーゼの発見者アーサー・コーンバーグが強調したように、再構成できた理解は強い裏づけを得ます。この作法が現代医療の礎となる「知のメス」として機能してきたことは疑いようがありません。
食品適用と「未回収のピース」
しかし、強い作法は、強い誘惑も生みます。分離し、数え、足し合わせ、再現できるなら、他の対象も同じように「足し算で言い切れる」と感じてしまうのです。食品がその代表例です。食品を成分に分解し、成分を揃え、体内に投入すれば、食品摂取と同等の健康効果が得られるはずだ。そうした読み替えが、あたかも当然の帰結として流通しがちです。
問題は、生化学が本来付随させている境界条件が、市場でしばしば省略される点にあります。生化学は「何が分かっているか」と同時に、「何がまだ分かっていないか」を含んだ営みです。まだ人類が発見していない成分があるかもしれない。まだ人類が発見していない相互作用があるかもしれない。足し算を完成させるピースが、そもそも揃っていない可能性が残ります。ピースが足りていなければ、パズルは完成しません。
この「未回収のピース」を棚上げしたまま、足し算の結論だけを強く言い切るとき、用語の誤用は単なる言葉の問題を超えて、推論の誤配線になります。その誤配線が、栄養言説において最も典型的な形で現れるのが、次章で扱うニュートリショニズムです。
第2章 ニュートリショニズムという「生化学の省略」
社会学者のジョルジー・スクリニスは、食品の価値を栄養素のスペック表へ還元するイデオロギーをニュートリショニズム(栄養素還元主義)と呼びました[1]。ただし、ここで筆者が問題にしているのは、学者としての栄養学そのものではありません。むしろ、科学的知見が市場で流通する過程で、成分スペックだけが独り歩きする状態です。生化学の言語が持つ説得力が、結論の「言い切り」を加速させる。筆者はこの現象を、生化学の成功体験が市場で省略された姿だと捉えます。
介入研究と現実の乖離
実際、単離された成分を「食品の代替」として投入する発想は、介入研究の地平ではしばしば期待どおりに回りません。抗酸化サプリメントを対象とした無作為化試験の統合解析では、一次・二次予防として死亡率を改善しないこと、さらに一部では不利益の可能性が示唆されたことが報告されています[2][3]。本稿の主題は個別サプリの是非ではありませんが、「成分を足せば食品と同等の効果が一般に得られるはずだ」という言い切りが、現実のデータにより容易に裏切られ得ることは確認しておく必要があります。
「完全理解」の不在証明
しかし、ここで決定的な問題が露呈します。
もし「成分を単離して投入すれば、食品摂取と同等の効果が一般に得られる」が成り立つのなら、それはニュートリショニズムが食(食品)を完全理解したことを意味します(注2)。そして、そのとき初めて、「生化学が食(食品)を完全理解した」と言ってよいはずです。なぜならニュートリショニズムは、まさに生化学が得意としてきた還元と再構成の論理を、食品へ適用したものだからです。
ところが現実には、その地点に到達していません。足し算を完成させるピースが足りていない可能性を、原理的に排除できないからです。つまり、ニュートリショニズムが食品を完全理解できていないのは当然であり、その事実は同時に、生化学が食品を完全理解したと見なすことが時期尚早であることを示します。
ここから導かれる結論は単純です。生化学の成功体験を、食品に対して無媒介に「足し算」として適用する読み替えは、現段階では成立しません。そして、ニュートリショニズムと対比されるべき相手はホールフードです。食品を成分表に分解して言い切るのではなく、未回収のピースを含んだまとまりとして扱う。筆者はこの態度の差を、食品マトリックスという概念で受け止め直したいのです。
第3章 「省略された生化学」の増幅構造
アカデミアの最前線では、食品全体や食事パターン重視へシフトしつつありますが[4][5]、市場には依然として成分至上主義的な情報が溢れています。ここには、個人の無知だけでは片づかない構造があります。
科学的厳密性と因果推定のジレンマ
第一の要因は、科学的厳密性のジレンマです。特定の因子の因果効果を鋭く推定しようとするほど、介入や曝露を単純化し、変数を絞り込む必要が生じやすいという構造です。食事パターンへの介入研究は統制が難しいため、成分単体の研究の方が論文化されやすい傾向が生まれます。その結果、文脈を欠いた「この成分さえ摂ればよい」というメッセージが、研究の外側で加工されやすくなります。
経済的インセンティブと情報の軽量化
次に、経済的インセンティブの問題があります。自然のままの食品は特許が取りにくく、製品差別化もしづらいため、マーケティング予算がつきにくい構造があります。一方で抽出・濃縮成分は製品化しやすく、流通させやすい。その非対称性が、成分スペック中心の情報を市場に偏らせます。
さらに、情報が「わかりやすさ」へ回収される力学があります。食品全体の相互作用を前提に、食品・食事パターンを上位の単位として捉える研究枠組みが提案されている一方で[6]、その議論は要因が多く、短い形式の情報として切り出しにくい。結果として「成分Xを〇〇mg」という明快なメッセージの方が流通しやすく、効率化志向とも合流して拡散されやすくなります。
ここで起きているのは、科学の否定ではなく、科学の圧縮です。生化学が本来持っている境界条件や「未回収のピース」への留保が削がれ、結論だけが軽量化される。その軽量化が、ニュートリショニズムとして再構成され、市場で増幅します。
第4章 食品マトリックスという「まとまり」とホールフード
ホールフードは、食品を「既知成分の足し算」として言い切りません。まだ回収できていない成分や、まだ解明できていない相互作用が残っているかもしれない。その可能性を切り捨てず、食品を「まとまり」として扱い、そのまとまりごと摂取します。
食品マトリックスの概念と全体性
では、その「まとまり」とは何でしょうか。ここで鍵になるのが、食品マトリックスという概念です[7]。栄養素は食品の中で裸のまま存在しているのではなく、細胞壁や繊維、タンパク質の網目、脂質の微細構造など、物理的・化学的な「入れ物」や「並び方」の中に埋め込まれて存在します。食品マトリックスとは、栄養素を包み込む構造全体を指し、「何が入っているか」だけでなく「どう入っているか」を問題にします。
構造差と生体利用性
例えばアーモンドを例にとれば、粒のまま、刻み、バターといった物理的形態(粒子径や構造)の違いによって、脂質の生体利用性が大きく変わり得ることが示されています[8]。ここで重要なのは、成分表が一致しているように見えても、食品としての入力が同一とは限らないという点です。ニュートリショニズムが持ち込みがちな「足し算の言い切り」に対し、食品マトリックスは「同じ成分でも、食品としての構造が違えば同じ効果とは限らない」という抵抗を与えます。
ただし、ここで筆者が言いたいのは「加工が少ないほど良い」という単純な価値判断ではありません。加熱や発酵のように、安全性や嗜好性を高め、場合によっては栄養の利用を助ける加工もあります。問題になるのは、食品の構造が変わっているのに、成分表だけを見て「同じ効果のはずだ」と読み替えてしまうことです。加工の善悪ではなく、構造という次元を落とした読み替えが誤配線を生みます。
全粒穀物と精製穀物の差は、栄養素の違いに還元される前に、食品としての構造の違いを含みます。果実とジュースの差も同様です。乳製品と飽和脂肪酸の関係でも、飽和脂肪酸という「成分」だけで食品を裁断すると見落としが生じますが、乳製品には食品としての構造があり、少なくともチーズやヨーグルト等の一部では、観察研究を中心に心血管リスクが中立〜低リスクと報告されているものもあります[9]。
食品マトリックスは、生化学を否定するための概念ではありません。むしろ、生化学の語りが市場で省略され、「足し算の言い切り」へ滑るのを止めるための補助線です。成分知を食品へ戻すための、実務的な足場です。
結語――生化学の誤用から、運用としての誤用へ
筆者の怒りの起点は生化学の誤用でした。その怒りは、学術的な正しさへの執着ではなく、誤用が現場の意思決定を壊すのを見てきたからです。ニュートリショニズムは、その誤用が栄養言説で最も露骨に結晶した症例でした。
本稿が言いたいのは、成分か食品かという二項対立の勝敗ではありません。食品を成分表へ圧縮して言い切る誘惑に対し、どの地点で「言い切り」が過剰になっているかを見抜き、成分知を食品へ戻す運用へ接続することです。もし「成分を単離して投入すれば食品摂取と同等の効果が一般に得られる」と言い切れるなら、それはニュートリショニズムが食品を完全理解したことを意味し、そのとき初めて「生化学が食品を完全理解した」と言ってよいはずです。しかし現実はそこに到達していない。ピースが足りていない可能性を、原理的に排除できないからです。
したがって筆者は、生化学の成功体験を、食品に対して無媒介に投影すべきではないと考えます。生化学を生化学として正しく使うために、境界条件を回収し、「未回収のピース」への留保を取り戻す必要があります。ホールフードと食品マトリックスは、その留保を弱さではなく設計として扱うための、現場の言語になり得ます。
本稿で筆者が「生化学の誤用」として描いてきたものは、実のところ、科学的知見が現場へ届く過程で起きる「翻訳の省略」という一般形の一症例です。本シリーズが繰り返し扱ってきたのも、まさにこの省略がもたらす設計崩壊です。本稿では、その症例をニュートリショニズムに限定して示しました。生化学という言葉を安易な便利語にせず、本来の厳密さと留保を取り戻すこと。その言葉に対する誠実さこそが、現場の科学運用を立て直す出発点になると考えます。
注記
(注1)本稿における「生化学」
本文のとおり、本稿でいう生化学は、分子の反応・相互作用・物質変換を、分離・精製・再構成・定量によって機構として詰める教科書的中核の作法を指します。学会名や領域名の広狭によって「生化学」が生命科学一般の便利語として用いられることがありますが、本稿はその混線自体を問題として扱うため、用語法を上記に固定します。
(注2)本稿における「完全理解」
本稿でいう「完全理解」とは、食品摂取の効果を「既知成分の足し算」として一般に言い切れる状態を指します。言い換えるなら、成分を単離して組み合わせる操作だけで、食品摂取と同等の効果を一般に再現できると主張できる状態です。欠乏の補填のように単一成分の理解が強く効く領域があることは否定しませんが、本稿の主題は、食品全体を成分表へ還元して「一般に言い切る」ことが成立しているかという点にあります。
(注3)医療的介入としてのサプリメント等について
医師や管理栄養士から明確な指示が出ているサプリメントや薬剤(例:妊娠期の葉酸、骨粗鬆症治療に伴うビタミンD・カルシウム、貧血時の鉄剤など)は、明確なリスクベネフィット評価に基づいた必要な医療介入です。本稿の議論を理由に、自己判断で中断すべきではありません。
参考文献
[1] Scrinis G. Nutritionism: The Science and Politics of Dietary Advice. New York: Columbia University Press; 2013. URL: https://cup.columbia.edu/book/nutritionism/9780231156561/.
[2] Bjelakovic G, Nikolova D, Gluud LL, Simonetti RG, Gluud C. Mortality in randomized trials of antioxidant supplements for primary and secondary prevention: systematic review and meta-analysis. JAMA. 2007;297(8):842-857. DOI: 10.1001/jama.297.8.842. PMID: 17327526. URL: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/17327526/.
[3] Bjelakovic G, Nikolova D, Gluud LL, Simonetti RG, Gluud C. Antioxidant supplements for prevention of mortality in healthy participants and patients with various diseases. Cochrane Database Syst Rev. 2012;2012(3):CD007176. DOI: 10.1002/14651858.CD007176.pub2. PMID: 22419320. URL: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/22419320/.
[4] Lichtenstein AH, Appel LJ, Vadiveloo M, Hu FB, Kris-Etherton PM, Rebholz CM, et al. 2021 Dietary Guidance to Improve Cardiovascular Health: A Scientific Statement From the American Heart Association. Circulation. 2021;144(23):e472-e487. DOI: 10.1161/CIR.0000000000001031. PMID: 34724806. URL: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/34724806/.
[5] Mozaffarian D. Dietary and Policy Priorities for Cardiovascular Disease, Diabetes, and Obesity: A Comprehensive Review. Circulation. 2016;133(2):187-225. DOI: 10.1161/CIRCULATIONAHA.115.018585. PMID: 26746178. URL: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/26746178/.
[6] Jacobs DR Jr, Steffen LM. Nutrients, foods, and dietary patterns as exposures in research: a framework for food synergy. Am J Clin Nutr. 2003;78(3 Suppl):508S-513S. DOI: 10.1093/ajcn/78.3.508S. PMID: 12936941. URL: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/12936941/.
[7] Aguilera JM. The food matrix: implications in processing, nutrition and health. Crit Rev Food Sci Nutr. 2019;59(22):3612-3629. DOI: 10.1080/10408398.2018.1502743. PMID: 30040431. URL: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30040431/.
[8] Mandalari G, Grundy MML, Grassby T, Parker ML, Cross KL, Chessa S, et al. Understanding the effect of particle size and processing on almond lipid bioaccessibility through microstructural analysis: from mastication to faecal collection. Nutrients. 2018;10(2):213. DOI: 10.3390/nu10020213. PMID: 29443942. URL: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/29443942/.
[9] Thorning TK, Bertram HC, Bonjour JP, de Groot L, Dupont D, Feeney E, et al. Whole dairy matrix or single nutrients in assessment of health effects: current evidence and knowledge gaps. Am J Clin Nutr. 2017;105(5):1033-1045. DOI: 10.3945/ajcn.116.151548. PMID: 28404576. URL: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/28404576/.
付記
本稿は、パーソナルトレーニングジムPriGymにおける指導指針および意思決定の設計思想を言語化したものです。特定の疾患に対する医学的助言や診断を目的とするものではなく、健康なクライアントを対象とした指導現場における論点整理を主眼としています。

