PriGym | 【池袋】パーソナルジム
論考記事
PriGymが発信する専門的な論考記事をまとめたページです。
PHILOSOPHY
現場における意思決定の設計思想
パーソナルトレーニングの現場で、科学的知見をどう解釈し、どう介入の線引きをするか。このPHILOSOPHYシリーズは、そのための「意思決定の設計思想」を扱うシリーズです。結論や手順の提示よりも、判断が壊れにくい形を言語化します。
第Ⅰ部:科学的認識論の再構築
スポーツ科学におけるN=1観察の認識論的意義と現場運用
エビデンスの不在は、効果の不在ではありません。統計的な「正解」と現場の「個別事例」を対立させるのではなく、N=1の観察データを「逸話」から「仮説」へ、そして「検証」へと接続するための、発見としての科学運用論です。
エビデンスヒエラルキーの盲点と外的妥当性
研究室で確立された「平均値の真実」は、複雑な変数が絡み合う現場の「正解」を必ずしも保証しません。エビデンスヒエラルキーを適用可能性(外的妥当性)の視点から再評価し、科学的知見を目の前の現実に「翻訳」して使うための作法を論じます。
生化学の誤用とニュートリショニズム
食品を栄養素の足し算として語る「ニュートリショニズム」の限界とは。生化学的な還元主義が市場で誤用される構造を指摘し、未回収の要素を含む「ホールフード」と「食品マトリックス」という視座から、成分知を現場へ着地させるための論考です。
第Ⅱ部:職業倫理と指導関係の再定義
身体像への介入の職業倫理
「健康」という言葉が、いつの間にか個人の美学を押し付ける道具になっていないでしょうか。機能判断と美の判断を峻別し、指導者を支配的な「彫刻家」ではなく、顧客の生活構造を支える「建築家」として再定義します。
行動変容介入における「遵守」から「合意」への構造転換
継続できないのは個人の意志の弱さではなく、システムの欠陥です。一方的な「遵守(コンプライアンス)」から対等な「合意(コンコーダンス)」へ。意志力の枯渇を前提に、厳格な管理よりも、崩壊しない関係性を設計するための構造転換を提言します。
自己効力感を育むパーソナルトレーニング指導思想
ビフォーアフターという「結果」への憧れだけでは、人は動き続けられません。スモールステップと承認を通じて「自分にもできる」という確信(自己効力感)を育て、ジムの中だけでなく、その後の人生の選択までを支える指導思想について。
第Ⅲ部:不確実性の中での技術介入
栄養指導の教義化と食の自律
栄養学的な「正しさ」が、生活の「楽しさ」を奪うとき、指導は教義化します。手段の作法化や献立の完全主義を排し、科学の規律を守りながらも、食文化と心理的安全性を守る「食の自律」を目指すための判断枠組みです。
レジスタンストレーニングのフォームと不確実性
万人に共通する「正しいフォーム」など存在しません。単一の正解を絶対視する「フォーム教条主義」を脱し、目的と身体条件に応じた「現時点での最良の仮説」としてフォームを運用する、不確実性下のリスク管理論です。
回復・休養と意思決定
「頑張らせる」こと以上に「休ませる」ことには勇気と技術が要ります。生活ストレスを含めた総負荷を見積もり、クライアントの意欲低下を根性論ではなく「システムの問題」として捉え直す、撤退と休養のための意思決定論。
身体指標の測定限界と運用倫理
体重や体脂肪率は、絶対的な「判決」ではありません。測定技術(BIA法)の構造的な限界と生理的変動を理解し、不確かな数値を、優劣の判定ではなく対話と安全管理のための「ダッシュボード」として扱う運用倫理を提案します。
第Ⅳ部:テクノロジーと未来
AI時代のパーソナライズ神話と意思決定倫理
AIが描く「地図」と、身体感覚という「コンパス」。最適化の計算結果を鵜呑みにせず、個別の生活文脈へ翻訳して最終決定を下すのは人間の役割です。テクノロジー時代に指導者が引き受けるべき「翻訳責任」とは何かを問います。
